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高松地方裁判所 昭和30年(わ)197号 判決

判  決

元宇高連絡船一等運転士兼船長

三宅実

大正六年生

元第三宇高丸三等運転士

穴吹政数

大正一二年生

元紫雲丸二等運転士

立岩正義

昭和二年生

元第三宇高丸二等運転士

杉崎敏

大正一四年生

右四名に対する業務上過失艦船覆没、業務上過失致死傷被告事件につき、当裁判所は検察官藤川健出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人三宅実を禁錮一年六月に、同穴吹政数、同立岩正義を各禁錮二月に処する。

たゞし、この裁判確定の日から、被告人三宅実に対しては二年間、同穴吹政数、同立岩正義に対しては一年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人伊藤広、同田中半造、同大森重臣に支給した分はこれを三分しその一宛を被告人三宅実、同穴吹政数の負担とし、鑑定人影山保夫に支給した分はこれを三分し、その一宛を被告人穴吹政数、同立岩正義の各負担とし、爾余の訴訟費用は、鑑定人小田義士に支給の昭和三六年四月二日付鑑定書の鑑定料を除き、これを四分し、その一宛を被告人三宅実、同穴吹政数、同立岩正義の各負担とする。

被告人杉崎敏は無罪

理由

(罪となるべき事実)

被告人三宅実は、昭和一三年五月児島商船学校を卒業し甲種二等航海士を経て昭和二〇年二月甲種一等航海士の免状を受け、昭和二二年日本国有鉄道四国鉄道管理局に採用され昭和二八年四月から一等運転士兼船長として同局宇野、高松航路貨車航送船第三宇高丸(ディゼル式発動機船、総屯数一、二八二屯)等に乗務していたもの、被告人穴吹政数は、昭和二一年六月乙種二等航海士の免状を受け、昭和二六年二月から同航路三等運転士として第三宇高丸等に乗務し同年特殊無線技士の免状をも受けていたもの、被告人立岩正義は、昭和二〇年九月大島商船学校を卒業し同年一一月甲種二等航海士の免状を受け、昭和二八年三月から同航路二等運転士として貨客航送船紫雲丸(タービン汽機船、総屯数一四八〇屯)等に乗務していたものであるが、

第一、一、被告人三宅実は、右第三宇高丸に船長として乗り組み昭和三〇年五月一一日午前六時一〇分(以下単に時間のみを示すのは同日午前のそれをさす。)下り第一五三便として貨車一八輛を積載し船首三米四〇糎船尾三米六〇糎の吃水で宇野港を出航し高松港に向つた。当時天候は雲りで霧も風もなく波浪も穏やかであつたところ、六時二〇分頃宇野棧橋より無線電話によつて「当日沿岸の海上で局地的な濃霧が発生する虞があり、視界は五〇米以下の見込み」という高松気象台五時三〇分発表の濃霧注意報が伝えられ、葛島水道を南下し六時三五分頃オゾノ瀬下端灯浮標を西方距離約一〇〇米に竝行して針路を一二〇度(真方位)に定めたころ東方約二浬の海上に霧の発生を認め、西航する改型鉄船の針路前方を横切るため一三〇度真方位に転針した六時四〇分頃には霧のため視界が四、五百米に遮ぎられるに至つた。そこで霧中信号を発するとともに、副直航海士である被告人穴吹政数をして船橋のスペリ・マリン・レーダーによる附近海面の看視をさせつゝ約一二、三節の全速力で航行を続けていたところ、六時五〇分頃被告人穴吹政数からレーダーにより紫雲丸の映像を探知したとの報告を受け、直ちに同被告人に替り約一分間レーダーによる観測を続けた結果、六時四〇分上り第八便として高松港を出航した紫雲丸が宇野港に向け、自船の正船首方向約二浬の距離にあつて自船とほゞ反方位の針路で上り常用航路よりやゝ西寄りを進航するのを認め、折柄昇橋した甲種一等航海士杉崎敏にレーダーによる同船の観測を命じたのち、船橋前面で運航を指揮していたが、そのころ次第に濃霧となり視界が一〇〇米ないし一五〇米に狭められるに至つた。右紫雲丸は中村正雄が船長として乗り組み、乗客七八一名、乗組員等六六名及び貨車一五輛を積載し、船首三米四六糎、船尾三米九六糎の吃水で六時四〇分高松港を出航し同港口通過直後北西(磁針方位)に定針し宇野港に向つたのであるが、同船長は、出航前に前記濃霧注意報が発表されていることを副直航海士の被告人立岩正義から知らされ、高松港口附近に既に霧が発生し視界が六、七百米に遮ぎられ次第に霧が深くなつたので、六時四八分頃から霧中信号を始めたが、その直後頃から二、三分の間に自船右舷前方に第三宇高丸の霧中信号を二、三回続けて聞いた被告人立岩正義から、第三宇高丸が女木島寄りに針路をとつている旨の報告を受けたが、自ら船橋のスペリ・マリン・レーダーを観測しつゝ約一〇、八節の全速力で航行を続けていたものである。

被告人三宅実は、前記のようにレーダーによる観測で上り第八便として定時に高松港を出航した紫雲丸とは女木島西方の海上で行き合うこととなるが、当時同航路上り便下り便ともに常用航路があり同所附近で上り便下り便が行き合うときは左舷対左舷で航過するのを例としていたところ、紫雲丸がその常用航路よりやや西寄りの針路をとつていることを知り、かつ同船も霧中航行を続けてレーダーにより自船を探知しているものと考えたわけであるが、レーダーによつて他船との距離、方位を確かめるのは比較的簡単であるけれども、他船の針路、速力等の動静を確認するのは必ずしも容易でなく他船との距離が二浬位以下となつた場合には一層困難であり、霧中信号による他船の位置の確認も至難のことに属する。したがつて、同被告人としては、自船がたまたまレーダー、霧中信号により紫雲丸の針路を確かめ得たと思つたとしても、紫雲丸において自船の針路や動静を確認しているか否か明らかでないのであるし、霧もなく互に視認関係にある場合には紫雲丸に対し正当な航法を期待し得ても、濃霧中同船が自船の針路、動静を誤り解している場合には不測の行動に出て衝突の危険が生ずることも予想されるのであるから、かゝる場合、レーダーにより正船首方向に紫雲丸を探知した十分余裕ある時期において、まず減速して両船備付の無線電話(当時両船とも船橋における通話が可能な状況にあつたものと認める。)を利用し相互の位置、針路、速力やレーダーにより自船を確認しているか否かなどを連絡確認したのち他船の動静を警戒しながら徐航するとか、その連絡が意に委せぬときは、当時海上は平穏で風もなく潮流も東流の末期であり、停船、仮泊に支障のない状態にあつたのであるから、濃霧が解消し視野の開けるまで停船、仮泊するなど万全の措置を構ずべき業務上の注意義務があつたのである。然るに同被告人は右注意義務を怠り、前記のようにレーダーにより紫雲丸を正船首前方約二浬に探知したのちにおいても減速、無線電話による連絡、停船又は仮泊するなどの措置をとらず、紫雲丸が自船の針路動静をいかに解しているかを考慮せず、漫然紫雲丸がそれ以上針路を西に寄せることはないものと臆断し、六時五二分頃、レーダー観測に従事していた杉崎から同船が依然正船首方向にある旨の報告を受けたのに、自船が右一〇度転針すれば同船と無事航過できるものと軽信して自船の針路を一四〇度(真方位)に転じ、そのころ自船正横左前方に紫雲丸の霧中信号を聞きながら依然全速力で進航し、右杉崎から紫雲丸との距離、方位につき六時五三分半頃「〇、九浬、左二分の一点(五度余)」と、約一分後「〇、五浬、左一点(一一度余)」との報告を受け濃霧中益々同船と接近し衝突の危険が増大しつゝあつたのにかゝわらず、なお同船が左側を航過するものと過信し、機関停止、全速後退等事故発生を防止するに必要な措置をとらず、依然全速力で航行を続けたため、六時五六分頃突如左政船首約二、三十度距離約一〇〇米の近距離の所において左に回頭しつゝ自船の針路を横切るように進航してきた紫雲丸の煙突を目撃するに及んで急遽同船との衝突を避けるべく左舵一杯を命じたが時既に遅くその効なく、紫雲丸中村船長が濃霧中前記のように自船正横前方に第三宇高丸の霧中信号を聞きながら減速、無線電話による連絡、停船又は仮泊等の措置をとらず他船の針路、動静を確認しないまゝレーダー、霧中信号及び見張にのみ頼つて全速力で航行し、六時五一分頃左(西)に約三度転針し、六時五三分頃はじめて機関用意、六時五四分頃機関停止をし、六時五五分頃霧中他船と近接している場合極めて危険な左転一五度を命じた過失、被告人穴吹政数及び被告人立岩正義の後記各過失と相俟ち、女木島二一七米山頂から約二四五度(真方位)二四五〇米附近で第三宇高丸の船首を紫雲丸右舷第三三番肋骨上に約七〇度の角度で衝突するに至らしめ

二、被告人穴吹政数は右第三宇高丸に航海副直として乗り組み、船橋にあつて船長である被告人三宅実の操船、運航を補佐する任務に就いていたものであるが、同船が宇野港出航当時の気象状態は前記のとおりであつたところ、六時二〇分頃宇野棧橋から無線電話により前記濃霧注意報が伝えられ、自らこれを受信しその旨被告人三宅に報告したのち、前記のように六時三五分頃東方の海上に霧が発生し、六時四〇分頃から次第に霧が深くなつたので被告人三宅に命ぜられてレーダーによる附近海面の看視を続けていたところ、六時五〇分頃上り第八便として定時に高松港を出航し宇野港に向つた紫雲丸の映像を正船首方向距離二浬余に認め、被告人三宅に同船の映像を発見した旨を報告するとともに同被告人とレーダーの観測を交替し、自らは船橋で見張りや霧中信号の吹鳴を続けていたのであるが、そのころ濃霧のため視界は一〇〇米ないし一五〇米に遮ぎられるに至つた。ところで本件航路のように船長が常に甲板にあつて自ら船舶を指揮しなければならない場合には、操船に関しては船長がその責任と判断のもとにこれを行なうのであり、副直航海士が、操船に関し時宜に適した助言をすることは望ましいとしても、その助言をなすべき責務を有するものとは解されないのであるが、レーダー、無線電話等の航海、補助計器が装備され、これを完全に利用して夜間や霧、雨など視界が不良の時でもできるだけ安全かつ迅速な運航が要請されつゝある現状にかんがみれば、船長一人だけの能力には自ら限度があるのであつて、船長の操船、運航を補佐すべく副直に就いた航海士としては、霧中など視界が不良となつたときは十分余裕のある時期に船長の命令を受け、また命令がない場合には進んで船長の許可を求めたうえ、これら補助計器を十分に活用し、目標、危険物、他船などの早期発見と識別、その方位、距離の判定、とくに他船の動静を確かめその結果を速かに船長に報告し、その操船、運航を補佐すべき業務上の注意義務があると解するところ、被告人穴吹政数は前記のように六時五〇分頃レーダーにより紫雲丸を正船首方向距離二浬余に探知したころ、霧が深く時に濃淡はあつても視覚による見張には限度があり、自らも了知していた前記一、記載のような両船の行合関係、自船の針路速力からみて、レーダー、霧中信号のみに頼つて航行することは前記のように衝笑の危険があり、また当時紫雲丸の動静を確かめるため前記一、の無線電話を使用するにつき船長の許可は確実に得られる状況にあつたと認められるのであるから、見張や霧中信号の吹鳴を一時他の者と替り、船長である被告人三宅の許可を求め、視覚による見張に勝つて有効適切な無線電話により紫雲丸の動静を確かめその結果を被告人三宅に報告しその操船、運航の資料を供すべきであつたのに、不注意にもこれを怠りレーダー、霧中信号及び見張によつて両船が無事航過し得るものと軽信し、依然霧中信号や見張にのみ専念して前記報告義務を尽さなかつたため、被告人三宅の操船、運航を誤らしめ、前記一、記載の両船長の過失及び第二記載の被告人立岩正義の過失と相俟ち、前記のように自船を紫雲丸に衝突するに至らしめ

第二、被告人立岩正義は第一一記載の紫雲丸に航海副直として乗り組み、船長中村正雄(本件事故により殉職)の操船、運航を補佐する任務に就いていたものであるが、同船が高松港出航前に前記のように自ら濃霧注意報を受け中村船長にその旨報告し、高松港口附近は既に霧が発生し視界が六、七百米に遮ぎられ次第に霧が深くなつたので、六時四八分頃中村船長の命により甲種二等航海士鈴木秀夫が霧中信号を始め、被告人立岩は、高松港口通過後間もなくレーダーを調整し中村船長にその観測を引き継ぎ、自ら船橋で見張に従事していたところ、自船が霧中信号を始めた直後頃から二、三分の間に自船右舷前方に霧中信号を二、三回続けて聞き、日常の経験から下り第一五三便として定時に宇野港を出航し高松港に向う第三宇高丸が女木島寄りに針路をとり反航するものと判断し、その旨中村船長に報告したところ、レーダー観測中の同船長も同様の判断をしているとみられる応答をした直後である六時五一分頃同船長は西(左)に約三度転針を命じた。被告人立岩は自船の前記第一、一記載のような針路、速力からみて第三宇高丸と女木島西方の海上で行き合うことを知つていたのであるが、前記第一、一に述べたように濃霧中レーダー、霧中信号のみによつて近接した他船と航過するのは衝突の危険が極めて大であるから、前記第一、二、に説示したとおりの業務上の注意義務のある副直航海士たる同被告人としては、当時無線電話取扱の有資格者でなかつたとしても、その操作は極めて容易であり平常しばしば運航等に関する通話を行いその操作にも習熟していたのであり、切迫した危険を控えたまたま航行中のため無線従事者を急に得難く自らその操作をなしうる場合に該ると解されるし、第三宇高丸の動静を確かめるため無線電話(当時両船とも船橋で通話可能の状況にあつたものと認める)を使用するにつき中村船長の許可も確実に得られる状況にあつたと認められるのであるから、六時四八分頃第三宇高丸の霧中信号を聞いた十分余裕のある時期において同船長の許可を求め無線電話により第三宇高丸の動静を確かめ、その結果を同船長に報告しその操船、運航の資料を供すべきであつたのに、不注意にもレーダー、霧中信号に頼り、かつ見張に専念することにより両船が無事航過し得るものと軽信し、無線電話による連絡を怠り前記報告義務を尽さなかつたため、中村船長の操船、運航を誤らしめ、第一、一記載のような経過を経て六時五五分頃同船長が左転一五度を命じ、六時五六分頃突如右舷船首方向距離約一〇〇米に第三宇高丸の船橋を認め、同船長が急遽同船との衝突を免るべく右舵一杯を命じたが遂に及ばず、第一記載の両船長及び被告人穴吹の過失と相俟ち前記のように両船を衝突するに至らしめ

よつて紫雲丸の右舷第三三番肋骨を中心とし、右舷に高さ約四米五〇糎、最大幅員三米二〇糎、奥行約三米五〇糎の楔形の破口を生ぜしめ、右破口よりの浸水により午前七時頃同所附近において同船を沈没するに至らしめ、よつて別紙一覧表のとおり乗客入口栄子外一六三名及び乗組員一名を溺死させ、乗客林野八郎外五六名に治療日数二日ないし六ケ月を要する傷害を蒙らしめたものである。

(証拠の標目)省略

(法令の適用)

被告人三宅実、同穴吹政数、同立岩正義の判示各所為は刑法第一二九条第二項、第一項、第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条により、結局犯情の最も重いと認める入口栄子に対する業務上過失致死罪の刑に従うこととし、所定刑中いずれも禁錮刑を選択するが、多数の人命を損い、あるいは傷害を蒙らしめた点において本件は海難史上稀にみる事故であり、被告人等の刑責は決して軽からざるものがあるが、濃霧中他船と近接して極めて危険なこととされる左転をした紫雲丸中村船長の過失が最も重大な衝突原因をなしていること、両船ともレーダー装備後日が浅く、その性能、効用につき十分理解しないまゝ霧中時においてもこれを過信して過大な速力で運航を続けていた本件当時の実情、被害者の家族、あるいは負傷者に対しては国鉄当局において慰藉の方法を尽していること、殊に被告人立岩、同穴吹につき副直としての報告義務を上叙の通り認定するけれども、当時の霧中における無線電話の利用状況、航海副直一般の船長に対する補佐責任の認識の程度など諸般の事情を考慮し、所定刑期範囲内で、被告人三宅実を禁錮一年六月に、同穴吹政数、同立岩正義を各禁錮二月に処し、情状にかんがみ、刑法第二五条によりこの裁判確定の日から被告人三宅実に対しては二年間、同穴吹政数、同立岩正義に対しては一年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い主文のとおり負担させることとする。

(被告人杉崎敏に対する無罪の判断)

同被告人に対する公訴事実の要旨は

「被告人杉崎敏は第三宇高丸に於て平素航海副直として四国鉄道管理局の内規である「宇高連絡船第二種船舶運行執務第十七項」に従い同船の針路、速力、船位、天候等の状況に注意して船長を補佐していたものであるが、昭和三〇年五月一一日は午前六時一〇分同船が宇野港を発航すると同時に非番となつて船室で休けいしていた。然るに午前六時五〇分頃自船の霧中信号を聞いたので船橋に出たところ当時相当の濃霧であつたため特に船長である被告人三宅実から同船備付のレーダーによつて右紫雲丸の動静を看視する様命ぜられ、こゝにレーダーを担当する航海副直として霧中を操船中の船長を補佐する業務に服するに至つたものである。

而して同六時五一分過頃二浬レンヂに調整してあるレーダーにより同日午前六時四〇分上り第八便として高松港を出航し宇野港に向つた宇高連絡船紫雲丸の船彰を自船の正船首方向約一、五浬附近にありと認め、右三宅船長に対し同船は正船首方向にある旨を報告し、引続きレーダーによつて同船の動静を看視していたのであるが、右報告直後自船が同六時五二分頃その針路を十度右転して百四十度にて航行していることは船長の転針命令に対する操舵手の復唱等によつて知悉していたのである。

かゝる場合レーダーを担当する航海副直たる被告人杉崎としては、レーダーはそれによつて相手船との距離方位を測定し得たとしても、その針路及びその変化を迅速に確認することは困難であるのみならず、その操作如何によつてはそれ等の判断に誤りなきを期し難いことを慮り、而かもレーダーにより反航船の動静を斯様な近距離に於て観測した経験も乏しく、且つ又宇高航路の下り便と上り便はその進路が概ね女木島西方海上で交叉しておりその進航方向の如何によつては両船が同海上附近で左舷対左舷又は右舷対右舷で航過している実状に鑑み、レーダーに現われた紫雲丸の映像の変化には細心の注意を払い同船の動静を精密に観測し、危険切迫の虞れがあると思料する場合には速かにその旨を船長に報告するは勿論霧中航行中の同船との衝突を防止するに必要な措置を構ずべきことを船長に進言し船長の操船運航に過ちなからしめるよう補佐すべき業務上の注意義務があつたのである。

而して右紫雲丸は高松港出航後北西(磁針方位)に針路をとり同六時五一分頃その針路を四分の一点(約三度)左転して北西四分の一西にて航行しており、自船は前記の如く同六時五二分頃一〇度右転して一四〇度(真方位)にて進航していたのであるが、被告人杉崎は右紫雲丸との距離約〇、九浬のときその方位を約五、六度と観測し、船長に対し前記の如く同船との方位、距離について左二分の一点、〇、九浬と報告したのみで、その際自船が一〇度右転しているのにその方位の変化が少く相手船が右に避けようとする様子のないことに気付き、その動静に疑念を抱きながら、その旨を報告せず、且つ自船の機関を停止する等適宜な手段を構ずるよう進言もせず、更にその方位、距離につき約左一点〇、五浬と測定した際、両船が甚しく近接し、且つ相互に相手船を視認できない濃霧中で相手船の行動を捕捉しえない頗る危険な状態であることを充分認識したのであるから、事故発生を未然に防止するために必要な処置として船長に対し即時自船を全速後退せしめる等適切な措置を構ずべきことを進言すべきであつたのに、前記の如く単に右紫雲丸との方位距離について左一点、〇、五浬と報告したのみで、右紫雲丸は依然として常用航路を航行しつゝあるものと軽信し、その報告直後却つて同船は自船の左側を航行しつゝある旨の事実とは符合していなかつた報告をなし、因つて船長である被告人三宅実をして自船の操船運航に対する措置を過らしめ、以つて前記の如く自船船首を右紫雲丸の右舷に衝突するに至らしめたものである。」というのである。

よつて考えるに、甲種一等航海士である被告人杉崎敏が昭和三〇年五月一一日午前六時一〇分(以下単に時間を示すのは同日午前のそれをさす。)宇野港出航の判示第三宇高丸に乗船し、非直のため船室で休けい中、六時五〇分頃自船の霧中信号を聞き船橋に出たところ、船長である被告人三宅からレーダーによる判示紫雲丸の動静の観測を命ぜられ、レーダー配置の見張要員として副直の任務に就いたことは被告人杉崎、同三宅、同穴吹の当公廷における供述により明らかであるから、被告人杉崎としては、レーダーを正しく観測しその結果を適当な間隔をおいて正確、確実に船長に報告することによつて、船長の操船、運航を補佐すべき業務上の注意義務を有していたものというべきである。ところで右供述を総合すると、被告人杉崎は、六時五一分頃からレーダー観測を始め六時五二分頃紫雲丸の映像を船首方向に認めてその旨被告人三宅に報告し、続いて紫雲丸との距離方位、につき、六時五三分頃「〇、九浬、左二分の一点(五度余)」と、約一分後に「〇、五浬、左一点(一一度余)」とそれぞれ観測したとおりの報告をし、なおレーダーを見ていると同船の映像が自船の船首方向と平行に進んでくるを認め、被告人三宅に対し「替りましたね」と同船と航過する状況にある旨の報告をしたことが認められる。そして、鑑定人豊田清治、同小田義士(昭和三六年四月二日付鑑定書、同三六年四月一二日第六七回公判における供述を除く)の各鑑定の結果を綜合すると、紫雲丸の航跡、レーダーの性能から避け得ない測定上生ずる誤差等を考えると被告人杉崎のレーダー観測及びこれに基く報告に誤りがあつたとは認められないし、「替りましたね」と報告したのちにおいて紫雲丸が判示のように六時五五分頃一五度左転したことをレーダーにより観測することは事実上不可能な状況にあつたことがうかゞわれ、他に同被告人がその注意義務を尽さずレーダーの観測を誤り、これを被告人三宅に報告し、よつて被告人三宅の操船、運航を誤らしめ本件衝突の原因を生ぜしめたと認めうる証拠はない。また本件の場合被告人杉崎において副直航海士として船長に操船に関する助言をなすべき責務を有しなかつたことは被告人穴吹につき判示第一、二において述べたところと同様である。したがつて被告人杉崎に対する本件公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三六年五月三一日

高松地方裁判所刑事部

裁判長裁判官 横 江 文 幹

裁判官 首 藤 武 兵

裁判官 太 田   浩

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